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クールJAPAN
ちょっと古いかもしれませんが,コロナ前はクールJAPANという言葉が心地よく響いていた気がします。今はどうでしょうか。コスプレやオタク文化といった日本独自のコンテンツの強みに変わりはありません。しかし,円安で海外から人が押し寄せてみると,なんだか複雑な気持ちになるのは私だけでしょうか。
アニメ,マンガ,ゲーム,そこから派生するさまざまな商品と価値・・・人々を魅了する「ソフト」にはどのような魅力があるのでしょうか?そのうちアニメにもたくさんの心理学のテーマが散りばめられています。それを皆さんと見てみましょう。ややチョイスは偏ってますがご容赦下さい。
涼宮ハルヒの憂鬱
少し古いが,2006年作品のテレビアニメ。無愛想で自己中心的な女性ハルヒに振り回されつつも,どこかにくめないキャラクターの魅力が爆発。「ツンデレ」という言葉が広まりました。エンディングのダンスはYouTubeで世界中で踊られました。男性主人公はキョン。おそらく韓国映画「猟奇的な彼女」(2001年)がモチーフになっています。男性の主人公はキョヌ,チョン・ジヒョン演じるヒロインはハルヒと同じような性格です。
アルプスの少女ハイジ
1974年,世界名作劇場シリーズとして作成されました。原作はヨハンナ・シュピリの小説,宮崎駿,高畑勲が制作に参加しています。スイスに住む偏屈者のおじいさんがハイジのために柔和になっていく大人と子どもの交流を描いた物語。それまでのアニメと違い,画面の視点が子どもから見上げた角度になっています。しかしある事情で,ドイツの大都会フランクフルトに連れていかれたハイジは,心を病んでしまいます。アルムの山は,アルプスの山の中で不便な生活である反面,自然の癒しをもたらしてくれます。また,ペーターの家などをみると貧困も隠れたテーマです。クララのいるフランクフルトは,ドイツの大都会であり,アルムに比べると便利な生活である反面,様々なストレスを抱える原因となります。豊かさの象徴であるといえるでしょう。ハイジは夢遊病になり,アルムに戻って静養することになります。
母をたずねて三千里
1976年,世界名作劇場シリーズとして作成されました。三千里は,イタリア・ジェノバから,アルゼンチン・トゥクマンまでの12000キロを意味します。母親と男の子の心の絆を描いているといえるでしょう。ヒロインのフィオリーナは原作には出てきませんが,父子家庭でマルコの母親に自分の母親を重ねている様子がうかがえます。この作品には貧困というテーマが描かれています。マルコのお父さんはジェノバの街で貧しくて医者にかかれない人たちのために診療所を運営しています。その運営費を工面するため,お母さんは幼いマルコを置いて遠いアルゼンチンまで出稼ぎにいくのです。アルゼンチンの街で,マルコは先住民である貧しいインディオのきょうだいと出会います。妹が高熱を出して生死をさまよっているとき,街の医者は「お金がなければ診察しない」といいました。マルコは旅費を医者代に差し出します。その後マルコはイタリアに帰って,貧しい人々のため医師を目指します。なお,原作の「クオーレ」は,「ピノッキオの冒険」と並ぶイタリア児童文学の古典的名作。少年エンリーコが毎日の学校生活を綴った日記と、先生の「今月のお話」九話から構成されています。書名の「クオーレ」は「心」を 意味するイタリア語です。
トム・ソーヤの冒険
世界名作劇場にて1980年放映。まだ黒人の奴隷制が残る時代のアメリカの南部ミシシッピー川の近くに住むトムは,大のいたずら坊主でガキ大将。孤児のハックルベリー・フィンと,いらずらの日々を送ります。トムは子どもたちに大人気です。それは弱いものいじめを絶対にしないことと,卑怯ではないからです。そのためいつも先生にお尻をぶたれます。子どもの仲間関係の本質がとてもよくあらわれているお話です。いずれも原作はアメリカの作家マーク・トウェイン。ハックルベリイ・フィンの冒険は,トムソーヤーの冒険が終わった直後から始まるので,ハックが主人公の続編といえるでしょう。黒人の奴隷制が色濃く背景に感じられる時代設定ですが,大人の考えと子どもの求める自由のギャップについて考えさせられます。
日本オリジナルのアニメ
ここまでみて原作のあるアニメをアレンジし直し,子ども向けに面白くされていることがわかりました。料理もそうですが,日本人は外国のものをうまく取り込んで,自分なりの味付けにするのがとても上手です。これはもっと自信をもって世界にアピールしていっていいことです。では次に日本オリジナルのアニメをみていきましょう。複数の作家(漫画家,アニメ監督)という方々に注目したいと思います。
ドラえもん
アニメというか漫画ですね。ドラえもんは全巻読みました。ドラミちゃんの回には,しずかちゃんがみよちゃんになったり,出木杉君がとてもできる君になったりするパラレルワールドだったりしますよね。藤子・F・不二雄先生は,ドラえもんを描く際,「SF(少し不思議)」を意識していたそうです。最近でたスマホ版のどら焼き屋さんゲームはインストールしたものの,なかなかやる気が起きません。年のせいでしょうか・・・。ドラえもんは海外の国によっては「子どもを甘やかす」ので教育的によくないと批判されるそうです。作者はのび太を「子どものとき何をやってもダメだった自分そのもの」だという理由で。しかし,現実は厳しくとも,「もしこうだったらいいな」という心の居場所を提供してくれるのがドラえもんという物語の良さだと思うんですけどね。藤子・F・不二雄先生は,SF短編集で実にメッセージ性の強い大人向けの漫画を描いています。彼が単なる楽天家ではなく,人間についてネガティブな面も含めて深く考え続けた人だったことが伝わってきますね。
感動するアニメとは
ごく少数が感動する作品と,多くの人が感動する作品のとちらがいいのでしょうか。人によって「ジーンとくる」感覚は違うのでしょうか。普遍性が高い作品が必ずしもよい作品とは限らないと思います。むしろ内容の深みはあまりないものも多いのではないでしょうか。ただ,サザエさんなどの長寿番組は家族で気軽に見られるニーズに応えていますよね。1969年から放映されているサザエさんは,最近あまり見られなくなったという話も聞きます。家族の形が変わってきたからでしょうか。
じゃりン子チエ
はるき悦己による原作漫画のテレビアニメで,1981年に放映されました。高畑勲がチーフディレクターを務めています。大阪市西成区西萩町を舞台に,自分でホルモン焼き屋を切り盛りする元気な女の子・チエと,彼女を取り巻く個性豊かな人々の生活を描いています。人情物語であるが複雑な親子関係,様々な土地の文化について考えるきっかけとなります。全く働かないで博打が大好きな父親テツは,今でいえばだいぶ問題のある親です。しかしながら,彼にも人間的魅力があって,チエちゃんを傷つけることはないし,酒も飲まず,奥さんに暴力を振るう訳でもありません。ギリギリセーフなのかな?はるき悦己さんには「日の出食堂の青春」という自伝的漫画があって,働いてない若者グループの話なんですね。男性が働いて家族を養うということに複雑な想いがあったのかなと感じます。
ファーストガンダム
このロボットアニメの特徴の1つは,主人公の繊細さではないでしょうか。ファーストガンダムは,15歳の少年アムロが葛藤の中,大人になってゆく物語。迷うロボットアニメ主人公の最初です。家出をしたり反抗期のような描写もありますよね。ガンダムに乗ってホワイトベースを出ていく場面には,みんな「おい!」という突っ込みをしたと思います。ガンダムが人気があるのは,優柔不断でわがままなアムロという主人公だからではないでしょうか。同一視しやすいからだともいえます。(シャアの名言も人気がありますが)アムロは成長していきます。戦争というテーマは日本ではある意味でタブーで,巧みに作り話にカモフラージュされていますね。それでも多くの特に男性がこの物語を好むのは,ギリギリの状況にあって成長していく主人公に共感するからではないでしょうか。
エヴァンゲリオン
当初は深夜番組として登場した作品。徐々にファンが増え,今では映画他さまざまな広がりを見せています。最終回に向かうにつれ,話が分からなくなってゆく印象です。中学生の碇シンジは母を亡くし,父子家庭ですが,実質は父ともほとんど触れあわずに暮らしています。愛情に飢えた主人公は,精神的脆さを常に抱えている状態です。「逃げちゃだめだ」と自分に言い聞かせるパイロットは新鮮でした。ヒロインの少女,綾波レイもまた天涯孤独で,彼女の部屋はコンクリートむき出しの無機質な部屋です。当時の(今も?)若者の心象風景をうまく表していたなと思います。
長くなったので,ここまででいったん第1部にしてとめます。
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