楽しい

休みの徒然

町内会

去年、一戸建ての借家に引っ越したのだが、町内会がある。たまに回ってくる回覧板、年に1、2回のゴミ捨て場の鍵開け、そして町内会費3000円の集金が今日だった。夜7時に公民館にもっていくことになっていたので行ってみると、初めて人がいて、明かりがついているのをみた。中にはしらない人ばかりだが、長椅子に受付をしてくれてる女性がいて、隣の男性がペットボトルとお菓子の袋を一つずつくれた。他にも知らないおじさんが何人かいたが、コロナ以後は寄合のような飲食はしないようだった。さっと受付を済ませて、手土産をいただき、お礼をいって帰った。道すがら、知らないおばあさん2人組がいて、どこの家か尋ねられたが、上手く答えられず、とにかくよろしくとだけ挨拶した。

手土産

全然しらない人ばかりのところって苦手なんだけど、手土産をもらえるとなんだかほっとする。誠意は形で示すというのが一番わかりやすいわけで、もし何もなく、受付だけでお金払って終わりだったら、当たり前ではあるが、気持ちはなんてこともないだろう。こういうのはちょっとした違いではあるけれど、気配りとしてアリだなと思った。特に最近は、効率だの合理化だのと、世の中味気なくなっている。アメリカあたりの大統領がその筆頭ではあるが、あんな自己中が当たり前な世界は、たぶん癒しが全くない地獄のようなところになっていく。早く大暴落でも起きて、いったんいろんなこと、特に暗号通過あたりがゴミみたいに無価値になって、まともな世の中を再構築するフェイズに入ってもらいたい。

大暴落

投資をしているので、株価が大きく下がってくれればチャンスである。前は大暴落を願うなんて、その後の不況も祈ることになり、人々の不幸を願うのはよくないような気もしていた。しかし、大暴落を待つのは長期投資家にとって必須の心構えなのであって、願うのではなく備えるのだとChatGPTにいわれて、なるほどなと思ったりした。そんなわけで、最近のアメリカ市場もだいぶ限界が見えてきているが、現金比率をかなり高めて、大暴落に備えまくっている。

経営

ところで、先日東京のブックオフで買ったカーネギーの自伝を半分以上読んだ。後半は鉄鋼業の社長としての話ばかりで、正直あまり興味がもてないのだが、経営者になったことがないからかなと思う。願わくば、大学でも何でもいいから、経営することに携わってみたい。定年まであと10数年だけど、そういうことに興味が出てきたのも年齢的なものだろうか。政治も経済も、人の舵取りに不満を覚えることが多いのもある。一方で、自分の力を過信してもいけない。やったこともないわけだから、経営なんて簡単にできるはずはない。それでも、あとやってみたいのはそれだなあと漠然と考えて過ごしている。

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