経済的豊かさ
つい最近,北九州市小倉南区のファーストフード店で事件は起きた。中3男女が40代男性容疑者に殺傷されたのだ。今日書かれていた読売新聞の容疑者の生い立ちに関する記事を読んだ。そこで私なりに思うところがあったので少し考えを書いてみたい。容疑者は,資産家に育ったという。実家はマンションなどを複数もっていたとある。容疑者は1年以上前に離婚してから,今の家に一人で暮らしていたという。以前から知っていた人は,様子が違っていたと話している。拡声器を使って奇声を上げるなどの近隣とのトラブルがあったようだ。私は,いくら実家が資産家で経済的に豊かでも,本人次第だということである。「親ガチャ」という言葉が流行している。そして,経済的格差が幸福を左右することを多くの人が意識していると思われる。もちろんお金だけで幸福になれるとは皆思っていないだろう。だが,「自分ならお金がたくさんあれば幸せになれる」と思っていないだろうか。
富裕層
お金がないときに人が思う欲求不満感を少し書き出してみたい。
- もっとお金があればいい家に住める。
- もっとお金があればいい学歴を身につけられる。
- もっとお金があれば仕事などしなくても生活できる。
- もっとお金があれば欲しいものが買える。
- もっとお金があれば周りの人を気にせず自由に生きられる。
- もっとお金があれば精神的にも余裕ができる。
- もっとお金があればもっとお金を増やすことができる。
富裕層になりたい多くの人が似たような思いを抱えているのではないだろうか。私はお金がたくさんある状態を経験したことがない。だからこそ,それを目指しているし,そうした心境を体験してみたい。私が資産を増やしたいと思う理由はこれだ。だが,お金がたくさんあっても,精神的には満たされない可能性はある。また,そう簡単に資産は増えない。まずお金を稼いで,そうした身分になってから考えろと言われそうだ。だが,富裕層でも幸福になれない可能性を考えておくことは大事だ。理由は,ある目標を達成しても満足感をもたらさない経験は結構あったからだ。例えば,登山で頂上まで行ったらきっと素晴らしい景色が見られると思っているとする。そして,実際には大したことがなかったということと近い。登山の楽しみは,頂上に上った後だけじゃなく,途中で草木を眺めることも含まれる。だから普通は頂上からの景色だけを目標に登山をする人はあまりいないはずだ。
親ガチャ
「親ガチャ」という言葉は,否定的な面だけではないと思う。今お金がなくて富裕層を目指す人は,節約して消費を抑えるだろう。また,子どもが努力しなければ,資産など消えてなくなる。もちろん親の金を生かして,さらに資産を増やす人も多くいるはずだ。現実にはそうした人々にはほとんど追いつけない。そうした意味も「親ガチャ」の言葉に含まれていると思う。ピケティも言っている。資本は多ければ多いほどさらに増えていく。「親ガチャ」は,資本が多い状態をうらやむ一般人の思いを込められた言葉。今回の記事は,私自身の考えをメモしようとしたにすぎない。富裕層を目指すということの意味について,考えさせられた。
引用:トマ・ピケティ著,山形浩生ほか訳 (2014).21世紀の資本 みすず書房
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