SNS特にツイッター(現X)をしていたときの違和感について書きますね。
私はツイッターを辞めたいけど辞められないというジレンマをすごく感じています。それで,ネットでも「どうしたらツイッターを辞められるだろう?」と思って何度も検索したことがありますが,「こうしたらいい」あるいは「辞めたらこういういいことがある」というマニュアル的な情報はいくつか見つかるのですが,根本的な解決にはならないなと感じました。そして,今でもツイッターを辞められてはいません。だから解決法は書けません。そこで,ツイッターについて感じることや気づいたことを,この記事ではまず書いてみようと思いました。
ツイッターをしているときの違和感のある自分の行動
- 自分の投稿を人に見てもらいたくなる。
- フォロワーが少ないと恥だと感じる。
- 投稿した後,炎上しないか怖い。
- 暇なとき,何度もツイッターを開いて通知を確認してしまう。
- 投稿した後,反応がないとつらい。
- アカウントを自分の分身のように感じる。
- フォローされたらフォロー返ししないと悪い気がする。
- 相手にフォローを外されると拒否された気がして腹が立つ。
まだありそうですが,これぐらいにします。書いていて思ったのですが,多くの人に当てはまりそうなこともあれば,私だけじゃないかという特殊なものまであるんじゃないかということです。「暇なとき,何度もツイッターを開いて通知を確認してしまう。」は,私の強迫的な性格が影響してそうですが,そういう人は多そうです。「アカウントを自分の分身のように感じる。」は特殊な感じがします。普通はここまで考えないのではないでしょうか。ただ,私はツイッターのアカウントを削除したことが何度もあって,放っておくというのができず,その時に感じるのは,自分はアカウントを同一視しているということでした。そしてちょっと異常というか,病んでいるなとも。
何年か前,ツイッターが楽しかった時期がありました。始めたてのころでしたが,公認心理師の資格ができて,私自身が高揚していた時期です。その頃の思い出,というか何が楽しかったのか思い出してみようと思います。
- 人への信頼感があった。
- 仲間を見つけたいという思いが強かった。
- 何人か常に反応してくれる人ができた。
- 仕事につながった。
- フォロワーと一体感があった。
他にもいろいろあった気がしますが,忘れてしまいました。もちろん,その前に書いた違和感のある自分の行動のいくつかは,その頃もありました。ただ,楽しかったことがそれを覆い隠してくれていた気がします。今もX(元ツイッター)を始めてみることがありますが,いつも楽しかったあの頃を思い出しては,結局そうなれないことに気づいてやめてしまいます。フォロワーが1000人以上いて,何人ともつながっていたアカウントを,たった1回のトラブルに嫌気がさして削除してしまったことを時々後悔します。でも,続けていたら苦痛だけだったようにも思えます。公認心理師をめぐる高揚感はもう消えていますから。
ところで,私はFacebookもしています。こちらは100人以上とつながっています。ただ,ここ数年,特に子どもが大きくなって子育てネタの投稿をしなくなったあたりから,なんとなく投稿するのも恥ずかしく,人の投稿も何だか冷めた目でみてしまう気持ちが強くなって,全然使っていません。ツイッターで自分に対する違和感を感じるようになって,Facebookも何だか同じように嫌になっている気がします。
これは一体何なんでしょう?
単に人生のある時期に誰にでも起きる変化なのかもしれません。
ただ,ツイッター(X)には病んでいる部分が出やすいなと感じる面はあります。
だから辞めたときは解放感が強いです。しかし,依存的な状態なのか,いつまでも楽しかった記憶が拭い去れず,何度も再開しようとしてしまいます。
今は,X以外に,Blueskyもあるし,最近ではMixi2という日本初のSNSのバージョン2が出ましたね。一瞬だけ懐かしくもあったし,楽しそうと思ったけど,だめでした。たぶん,私が変わってしまったのかな。どのSNSも楽しめなくなってしまいました。投稿しても恥ずかしくないなと思える何かが私の中になくなってしまったみたいですね。
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