フランクルの教えと空虚感の克服について説明する画像

あなたの人生の意味は『その時』に分かる!

フランクルの教えと空虚感

フランクルの著書『夜と霧』で語られる『意味の発見』の重要性は、空虚感を乗り越える鍵となる。本記事では、大学教員が直面する心理的な課題と、『フランクルの教えと空虚感』との関係について深掘りしたい。

マルチタスク

最近,同時にいろいろな仕事を進めている。大学で働いているので,授業はもちろんんだが,いくつか書き出してみる。

  • Web調査2件(1件は科研費,もう1件は同僚と共同で業績作り)
  • 学科予算とりまとめ(主任の補助)
  • 出張授業(学生募集)
  • 査読論文投稿2本(1本はB評価で返送済み,もう1本は投稿したばかり)
  • 授業4コマ(オムニバスが4コマ終わったから減った)
  • ゼミ2コマ+α
  • 教授会,学科会議,コース会議,各種委員会会議etc
  • 週1でスクールカウンセラー

いやあ,こりゃやりすぎだ。書き出しただけでこれだけだけど,ゼミ生の卒論指導があるし,これらに付随して学内の仕事には事務仕事が膨大についてくる。うちの大学は事務職員が少ないので,事務仕事は他大学教員が見ても相当多いらしい。今年からインボイスの税区分の処理までやらされるのには閉口した。最近は次年度の学科予算の取りまとめを主任の補佐でやっているが,これがまた面倒な作業だ。同僚間で処理速度が違うし,よくわからない他コースのものも1つにまとめなければいけないから,ミスも増える。今朝も,主任の相談があって他コースの教員に連絡をとり,事務連絡の調整をしたところだ。こういうのって,他大学だったら事務職員とか助手さんがいて,やってくれることなんだよね。僕は一応教授なんだが。とまあ愚痴はここまでにしておく。身バレも怖いしね。

フランクルの教えと空虚感が大学教員に示すもの

でまあ,本題だが,仕事をするのはいいけど,メンタルにくるなあと感じる。具体的には,気持ちが落ち着かない感覚が強まる。何か成果がないと空っぽな感じというか。早退して眼医者にいったのだが,帰宅して家でもノートPCで予算の取りまとめをしたり,同僚に電話をかけたりして,妻と話していても会話を楽しめない。昨日も呆然としてる瞬間が結構あった。この空虚感はずっとあって,僕自身の性格的なところに原因もあるのかもしれないが,すごくしんどい。個人的な話になるが,メンタルクリニックにも通っているのは,別の記事に書いた通りだ。最近は頓服の抗不安薬を1日2錠飲まないとしんどいと感じる。夜も寝つけない時が多いし。だいたい,このブログを始めたのも,匿名なのは副業として収入を増やすことが目的だからだ。僕は株式投資が趣味だが,資産を増やすことを目的にしている。しかし,簡単に増えるようなものではなく,収入を増やさないと話にならないと最近思う。だから,とにかくこのブログを続けて,副収入を増やそうとしているのである。しかし,始めて2週間ぐらい経ったが,わからないことだらけだし,Xでアカウントを作っても全然フォロワーが増えないし,気持ちが折れそうになる。まあ,誰でも経験することなんだろうが,そういうのを考えないようにするためにも,ひたすら記事を増やそうと100記事を目標にして,とにかく書こうとしている訳だ。

燃え尽き

似たような経験があったなと思う。浪人して受験勉強していたときだ。結局第1志望にはセンターの点数がC判定と微妙だったので,第2志望に妥協したのだった。でも,大学にいったら,僕は燃え尽きたような精神状態だった。もちろん第1希望の大学に行っていても同じだっただろう。浪人してセンター試験の得点率は7割から8割に上がったし,模試の偏差値は50代から60代後半にまで上がった。それと引き換えに,神経症になるような受験勉強を1年やり続けた。だから必然的に大学に入学した時は病んでいた。

今も資産形成のために,本業と副業を無理にしている。妻には副業は無理にしなくていいといわれている。でも僕は妙な焦りがあって,やらずにはいられない。本業だけでも十分生活できる。ただ,僕はあまりにも無縁だった富裕層を目指したいのだ。資産がたくさんあるという心境を体験してみたいのだ。しかし,そのとき僕は同じように燃え尽きているかもしれない。今の空虚感が肥大した先に,もし運がよければ,富裕層の仲間入りをした自分がいるのかもしれない。心をさらに病んで。

人生の意味

僕はこの空虚感についてどうにかならないかといろんな本を読んだことがある。で,参考になったのはフランクルという精神科医の本だ。フランクルは「夜と霧」というホロコーストを生き延びた体験記がベストセラーとなったことで有名だ。彼は実存療法といって,生きる意味について考えることを重視する心理療法を提唱した人だ。

ビクトール・フランクルの画像

フランクルの「虚無感」

彼の「虚無感について」という本を読んでいて,僕はある一節に目がとまった。「生きる意味は自分で見つけるのではない。人生がある時期に,あなたに突きつけてくるのだ。」と書いてある。『は?人生の意味って自分で考えて見つけていくもんじゃないの?』と最初は戸惑った。だから見つからないと自分がだめだなあと思ったり,もどかしい気持ちがしたり。しかしフランクルは「意味は外からやってくる。タイミングがきたら」といっているのだ。これには考えさせられた。僕の今の生きる意味は,妻と子どもたちとの幸せな生活を守り維持することだ。それに尽きるといってもいい。富裕層になりたいとか,いろんな願望は,頭で勝手に作った妄想で,人生からは何も求められてないし,そのタイミングだって全然きていない。残念ながらね。Xは前は実名でやっていたこともあったけど,全然フォロワーも増えないし,何一つうまくいかなかった。このブログだってそうかもしれない。とりあえずこの記事はここで終わるけど,でも僕はあきらめが悪いから,ブログだけは100記事書いてやろうと思う。何かを得るにはトレードオフで引き換えにしなきゃいけない苦労があるというのが僕の信念だから。

まとめ

空虚感に対処するために必要なのは、フランクルの教えを実生活に取り入れることである。『フランクルの教えと空虚感』が、私たちにどのような示唆を与えるのかを再確認することで、新たな視点が得られると思う。

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