血の歌
なかにし礼の『血の歌』という小説がある。女性の歌がテレビドラマの主題歌に取り上げられて大ヒットし,父親が巷に娘の歌声が流れるのを聴いて,嬉しくなって久しぶりに娘の声を聞きたくなった。そこで父親は娘に電話をする。
「曲の印税ならまだよ」
これが『血の歌』の書き出しだ。そしてこの小説の主人公は父親である初老の男性であるが,真の主人公は娘である女性だ。そして,初老の男性は,なかにし礼の兄がモデルであると思われる。さらに,その娘は森田童子であるといわれている。
謎めいた歌手
森田童子というシンガーソングライターをご存じの方はどのぐらいいるだろうか。1970年代を中心にフォークソングの歌手としてアンダーグラウンド的な活躍をして,コアなファンがいた森田童子。獅子のようなモジャモジャの黒髪に,常に黒いサングラスをかけて,自分が何者か人に知らせるのを完全に拒否した外見。1990年代に『高校教師』の主題歌に『ぼくたちの失敗』が採用され,大ヒットした。私もそれをリアルタイムで聴いて,森田童子を知った世代だ。彼女の歌声はかぼそく,歌詞は虚無的だ。しかし,聴く者の孤独を少しでも癒してくれる気がする。絶望的な気持ちの時にそっと寄り添ってくれる気がする曲が多い。
『ラストワルツ』,『男のくせに泣いてくれた』,『例えばぼくが死んだら』,『さよならぼくのともだち』,他にもたくさんの歌がある。
森田童子はある時期にラストライブを行い,その後,完全に世間から消えた。彼女は一体何を歌で表現したかったのだろう。テレビ主題歌としてヒットしたのも,彼女が森田童子でなくなってだいぶ年月が経ってからだった。
森田童子の父親
僕は森田童子の生い立ちを知りたかった。そしてネットで調べているうちに,なかにし礼という作家と,その兄,そしてその娘が森田童子であるという情報に行き当たった。なかにし礼といえば作詞家,作家として有名だ。その兄は,全く無名な人だ。しかし,その兄の伝記的小説が『血の歌』であり,森田童子がなぜあのような歌を唄ったのか,その理由が垣間見える。
個人的な話になるが,私は自分の父を2年前に亡くしている。この父は,中卒で働いて,苦労した。しかしサラリーマン時代からギャンブル癖が治らず,晩年まで家族を苦しめた。私は子として,父を好きになれなかった。というより,軽蔑していた。父のようになるまいと思って生きてきた。亡くなる最晩年もひどいエピソードが続いた。父と別れようとしない母のことも軽蔑していた。今でも母との関係はぎくしゃくしている。少なくとも私は距離をとっている。父も母も金のない私にまで「金貸してくれ」と言ってくる人間だった。人間性において,親としての最低限の資格がない人たちだったと思う。
森田童子の父親は似たような人だ。第二次大戦で飛行機乗りとして活躍し,日本に帰還するまでは錚々たる人生だったが,その後は事業を起こしては失敗の連続で,ほうぼうに借金を作り続ける。女癖も悪く,森田童子は兄弟とともに女のもとにいる父親に泣いて家に戻るよう頼んだこともあるそうだ。
親への幻滅
私も中学生の時,父が家出をして,母に頼まれて心当たりの雀荘をいくつか探し回ったことがあった。そのうちの1軒で父は自分が麻雀を打つでもなく,人の卓を眺めていた。入店を嫌がる母の代わりに,私が学生服で店に入り,父に「父さん,家に帰ろう」と声をかけると,父は駄々っ子のように「帰らん!お前らだけ帰れ!」と言って動かない。店を出て母と私は仕方なく家に帰った。その夜遅く,父はこっそり家に帰ってきた。私は父のことをなんという情けない男だろうと初めて思った。母はとても強迫的な性格で,小さい頃から私に父の愚痴を聞かせた。私はすごくつらかった。私自身もとても強迫的な性格になったのは,母の影響が大きいと思っている。以前の記事で,強迫についての話はした。
森田童子にとっても父親は悩みの種だったのだろう。そうでなければ,久しぶりに父が電話してきて『印税ならまだよ』という言葉が出てくるはずがない。金の無心を何度もされて辟易していたことがうかがえる。私も似たようなことがあった。父はプライドがあるのか,私の前で情けないことをいうことは少なかったが,結局,母の愚痴から父のギャンブル癖や借金まみれの現状は伝わってきた。20代半ばの頃,大学院を出て就職できなかったので塾のアルバイトで生活していた私に珍しく幸運が舞い込んだ。国の研究員に採用されて,毎月30万ほどもらえる身分になったのだ。それを嬉しくて母に電話で伝えると最初に出てきた言葉が「金貸してくれ」だった。私はなんという身勝手な親をもったのだろう,とあらためてがっかりしたのを覚えている。
目上の人間への不信感
このブログを書いていて,私は森田童子の歌をときどき聴きながら,彼女が父親に抱いていた嫌悪感を,僕の生い立ちと重ねている自分を意識している。このような文章を書くことは読者の役には立つまい。それでも,どのような親を持つかは,人の人生観に大きな影響を与えると思う。森田童子を僕と同列に並べるなんておこがましいと思うが,両方に共通しているのはひどい父親をもったということだ。親に対する絶望は,人生に対する絶望とつながりやすい。もっといえば,人間不信につながる。また,学校の先生や自分の目上の人間との関係も安定して構築できなくなると思う。僕は,大学から何人か指導教員をもったが,どの教員とも今は疎遠だ。もちろんどの教員にも全く指導力がないとか,アカハラの常習者だとか,責める欠点はあったが,僕の方にも目上の人間を信じられないものが根深くあったのではないかと思う。少ない大学院の同期たちは,それぞれ師匠を敬い,それなりに付き合いが続いているようだ。僕は師匠をすぐに見切る。そして関係も切る。なので,学者の世界では,人とのつながりができず,たいした仕事もせずに終えるだろう。それでも構わない。ただ,教え子との卒業後の関係も疎遠になるというか,僕の方から積極的に連絡することもなく,教え子が慕ってくることもない。僕には子どもがいるが,僕が年老いて,子どもたちから疎まれるのではないかという漠然とした感じをもっている。因果応報というものではないか。それでも構わない。ただ,僕は親父のようになりたくないと思って生きてきた。だけど,どこかで小さいときに可愛がってくれた親父のことも脳裏にある。親父が好きだったのに,ひどい親父を見せられ,アンビバレントな思いを抱えながら生きてきた。そういった心の負債のようなものは死ぬまで消えないのではないだろうか。子どもたちに迷惑はかけないように年老いたい。せめて「金を貸してくれ」といわないで済むように。
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